ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」

「少年の日の思い出」は、19世紀後半から20 世紀にかけて活躍したドイツ人作家へルマン・ヘッセの短編小説である。生涯を通じて精神世界を追求したヘッセは、この小説の中で、一人の少年の精神的な成長を少年の頃のほろ苦い思い出として綴っている。その内容を要約してみよう。

「客」と呼ばれる主人公は、10 歳の頃熱狂的な蝶の収集家であったが、2年後に苦い体験を通して、その趣味をすっかり止めてしまった。

当時少年であった主人公には、家の隣に同じく蝶の収集をしている少年がいた。彼は、この少年に対して、 その才能や家庭環境ゆえに嫉妬や憎しみを抱いていたが、12 歳のある日、どうしてもこの少年の蝶の標本を見たいと思い、その家を訪問した。すると、たまたま少年は不在で、彼は勝手に蝶の標本を探し出して見た上、その中の一つを盗んでしまったのである。そして彼は、家人に見つかることを恐れてその脆い蝶の標本をうかつにもポケットにしまい込み、修復不可能なまでに壊してしまった。

取り返しのつかない事態にショックを受けた彼は、 帰宅し思い余って母親に事の顛末を包み隠さず話した。

すると母親は、驚き悲しみつつも、この告白自体が辛いことであったことを知った。しかし彼女は主人公に、隣の少年の所へ行き正直に告白するようにと諭す。そこで彼は、勇気を奮い起こしてこの少年のところへ行き正直に告白し、許しを乞うたのだが、その結果は悲惨であった。彼は軽蔑され、すっかり悪党にされたのである。幸いなことに母親は、すっかり落ち込んで帰宅した息子に、根掘り葉掘り聞こうとはせず、構わずにおいてくれた。彼はそれを嬉しく思った。そして遂に彼は、自分の蝶の標本を一つ残らず粉々に潰したのである。


この小説は、なかなか示唆に富んでいる。というのは、 道徳と規律を代表する少年と主人公の関係と、愛と赦しの存在である母と彼との関係が、鮮やかな対照を成して描かれているからである。

道徳と規律によれば、主人公は盗みを働いた悪党で、 しかも相手の大切な持ち物を破損した加害者である。
逆に、隣の少年は正義であり、被害者である。しかしこの少年により、主人公は深く傷つけられ、一層憎しみを募らせることになってしまった。もしこれで話が終われば、主人公の精神的成長はなかったであろう。ここに、道徳と規律の役割と限界がある。

それに対して、母親を見てみよう。彼女は主人公に共感しつつも、正しい行いを教え諭した。そして言われた通りに実行してみたものの、返って落ち込んだ彼を温かく迎えた。ここに愛と赦しがある。この母の愛に触れた主人公は、勇気を出して、自らを夢中にし罪に誘った蝶の標本を葬り去り、大人への成長を遂げたのである。

(2017年5月1日発行「熊野だよりNo.7」より抜粋)

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