このページには、エマオ塾春期講習会(2024年3月28日~3月31日に和歌山県那智勝浦町で開催)に親子で参加された山形薫さんが、その時およびその後のことについて、エマオ塾教育講演会(2024年7月15日に大阪府堺市で開催)で報告してくださった内容を掲載しています。
個人名やプライバシーに関わる情報は、全てイニシャル等に置き換えています。
エマオ塾に参加したきっかけ
今回エマオ塾(春期講習会)に参加したきっかけは、長男(中3)が不登校になったことです。また、夫婦での長男との関わりに限界を感じていました。エマオ塾は、神様を信頼している兄弟姉妹が行っているので、長男が変化するのではないか、学校へ行けるようになるのでは、という期待がありました。
エマオ塾を知ったのは、I.S.さんを通してでした。エマオ塾は、基本は地元の子供達が朝来て、2時間位勉強をして、塾で朝食を食べて学校へ行く、ということでした。春休みや夏休み等の長期の連休時は、合宿を計画している、ということでした。
当初、遠くに住んでいる長男は該当しないと思いましたが、I.S.さんが教えてくださったので、「受け入れてくださるのではないか」と思ったので、熊野に問い合わせました。その数日後、永山夫妻が千葉の自宅まで来てくださることになりました。片道10時間の夜行バスで来て、夜行バスで帰られました。まさかここまでして来て下さるとは思いませんでした。その時、長男は永山忠さんが見せてくれた昆虫の写真に興味を持ったようでした。
塾講師に、H.S.君がいて、以前家庭教師をしてもらい、その時に長男がH.S.君になついたことも、熊野へ行くきっかけとなりました。H.S.君に家庭教師を依頼したのは、教えることが好きという点でした。
長男がエマオ塾に参加しようと思えたのは、H.S.君がいるという事と、和歌山へ行ったことが無かったので、行ってみたい、という気持ちがあったからだ、と本人は言っています。
エマオ塾の参加者
今年の3月28日~4月5日まで、熊野のエマオ塾へ行きました。
今回熊野へ行くにあたり、私の中では、「長男を立て上げる為、永山夫妻を信頼しきって参加しよう」と思いを定めました。
浜ノ宮に5日間、鵜殿に5日間滞在しました。
浜ノ宮の5日間は、エマオ塾の春期講習でした。そこには、生徒として、長男を含めて3名が集まりました。講師は、永山夫妻を筆頭に、H.S.君、Y.T.さん、協力者としてY.A.さんでした。
また、H夫妻とY夫妻、A.H.さんは食事作りの協力をしてくださいました。
エマオ塾で体験したこと
浜ノ宮のエマオ塾では、まずジオパークセンターへ行きました。山から川が流れている模型を見ました。手つかずの自然は「こんなにも変化するのか」、普段見ている川はどれだけ人の手が加わっているか、という発見がありました。
今回は、体験型の授業が殆どでしたが、座学としては英語と数学・科学の授業が1回だけありました。英単語のカードを使った神経衰弱をしました。英単語も後日スコッチエッグ作りで使う道具や食材の名前が書かれていて、工夫されていました。長男の苦手科目は英語ですが、エマオ塾の英語は楽しいと言っていました。
体験型の授業として、夏山(なっさ)海岸とお蛇浦(じゃうら)海岸へ行き、海の生物をつかまえて、どのようなものがあるのか観察しました。観察したら、海に戻しました。子どもたちは熱中して探しました。
夏山(なっさ)海岸では、猫が沢山いて、それを観察しに行きました。このように予定していなかった発見も、長男にとって印象に残りました。
熊野らしく、成川(なるかわ)という竹林で、のこぎりで竹を切る練習をしました。長男はのこぎりを使うのは初めてでした。また、畑へ行ってカキナを収穫しました。
エマオ塾の終盤は、鵜殿に移りました。熊野の竹細工によって、流しそうめんをしたのも印象的でした。流しそうめんの台を男性が作っている時、同時に女性陣はスコッチエッグ作りをしました。スコッチエッグ作りは簡単なようで、出来上がりは手間がかかっている料理に見えました。
休み時間に、H.Y.さんと小学生の女の子が真剣にバドミントンをしていました。その時の、H.Yさんの彼女に対して本気で向き合う姿に感動しました。
最終日は、皆さんで主日礼拝をしました。その日はイースター礼拝でした。永山忠さんのメッセージから、復活の意味が分かりました。斬新な切り口のメッセージで、
「待っているよ、おいでね。」
と復活のイエス様が私のことを待っておられることを知ったので、ホッとしました。
全体を通して、永山夫妻が夫婦で一致していることが、居心地の良い空気を生み出していることが分かりました。流しそうめんの為、大量のそうめんをゆでて、冷やす時、H夫妻が夫婦で一致して、大きな鍋から大きなザルにそうめんを移す作業をしていました。その阿吽の呼吸が見事だと思いました。
長男は「熊野は、おばあちゃん家より、やることがあっていい」と言っています。浜ノ宮では「海が近くにあり涼しく感じた。海まで歩いて行けて楽しく、海水が冷たかった。外を散歩していると、トンビがたくさん飛んでいた。海水の塩の匂いがすごくした。」という感想を述べています。
長男の発言で意外だったことは、集団生活、大人数でも平気だという事です。春期講習は、長男以外に生徒として男の子の参加者がいませんでしたが、8月には長男以外に2名の男の子が参加予定と聞いており、長男も期待して、楽しみにしています。
また、行きは船橋から熊野まで夜行バスを使って10時間以上、帰りは電車を乗り継いで1日がかりの移動でしたが、長男は「移動が楽しい」と言っていました。
私自身がエマオ塾を体験して、分かったことがあります。一つは、他人の子どもの方が冷静・客観的に見られることが分かりました。
もう一つは、操さんが自分の薬を取りに行くのを忘れる程、エマオ塾のことに没頭されていました。ご自分は夕食を食べないのに、H.S.君と長男の夕食を作ってくださいました。また、ある日私たちが1日中出かけて帰って来た時が2回位あります。その時、恵泉熊野教会の皆さんが夕食を作って待ってくださっていたことが印象に残っています。
そして、エマオ塾の春期講習は5日間でしたが、「その後も、長男君がいたいだけいていいよ」と永山夫妻がおっしゃってくださっていました。結果、エマオ塾の後5日間滞在させて頂きました。
このように具体的な自己犠牲の生き方が、共に生活することで分かりました。
エマオ塾の春期講習後、不登校気味だった長男が学校に行けるようになったことは、大変感謝です。長男は、学校へ行こうと思えたのは、「エマオ塾が良い気分転換になった。」という事です。また、母の私を見て「楽しそうだった」と言っております。
長男は、毎日休み時間には海を見に行ったこと、H.S.君が弾いてくれたギター等に癒された、との事です。
その後
エマオ塾を通して頂いた多くの愛に答えたいという思いが湧き、それと同時に、向こうから隣人愛の機会が与えられるようになりました。
エマオ塾の最中、Y.A.さんから引っ越しの手伝いを頼まれました。エマオ塾から戻ってから、大阪まで手伝いに行きましたら、喜んでくださいました。
また、Y夫妻が引っ越されて来た後の、惠泉我孫子教会の手伝いに行った時、ピアノが無いことに気付きました。そして、実家にあるピアノを処分したいことを思い出しました。S.Yさんに献品を申し出たところ、喜んでくださいました。
Y夫妻が訪問された後、
「長男さんのことは心配する必要は無いです。薫さんご自身は、安心して、悩み苦しむ魂の為に精一杯働いてください。」
と言われ、そのように生活して行きたいと思います。
これからも機会を作って、神さまを信頼している方々と共に共同生活をさせていただきながら、悩み苦しむ方々に寄り添って行くことを考えています。