司馬遼太郎「燃えよ剣」解説

「週刊文春」に1962年から1964年まで連載

国立国会図書館蔵「土方歳三|近代日本人の肖像」

解説

戦国武者の末孫    

時は幕末。武州多摩の百姓土方歳三は、源平武者、戦国武者の末孫で気性はあらく、喧嘩好きだ。彼は、どこか獰猛で人に心を許さない性格の持ち主で、「猫」を思わせる人物であった。  

しかしその歳三には、生涯を通じた同志が二人いる。それは近藤勇と沖田総司であった。  まず近藤勇は、飾り気が無くおおらかな性格の持ち主で、歳三と馬が合った。そして江戸小石川柳町で道場「試衛館」を開いていた。        

また沖田総司は、童子のような明るい性格で、陰気になりがちな歳三を慰めてくれた。彼らはこの道場で、通い弟子達に稽古をつけて生計を立てていた。  

ところが文久二年(1862)、この地域に流行したハシカの蔓延で通い弟子達が来なくなり、「試衛館」はすっかり経営難に陥ってしまった。  

ところでその当時、攘夷浪士と呼ばれる主君を持たない武士達が、江戸や京都で暗殺や襲撃などの暴虐を働いていた。だから幕府は、都の治安維持に手を焼いていたのである。そこへ清河八郎(きよかわはちろう)が幕府の官費による浪士組の設立を申し出たので、幕府は都の治安維持を目的にしてこれを許可した。こうして近藤、歳三そして沖田他の9名は、道場を閉めその浪士組へ参加することとなった。  

まずは、清河八郎がこの浪士組を組織化した。しかし何と彼は、幕府を利用しながら討幕を目論んでいたのである。これは明らかに幕府に対する裏切り行為であり、近藤や歳三らは大いに憤慨した。そして彼らは、隊士仲間の芹沢鴨とその一味を誘い、清河の浪士組を脱退した。そして芹沢の力を借りて会津藩に働き掛け、京都で新たな武装警察「新撰組」を結成した。

新撰組の栄光と衰退

 次に歳三は、早速隊士百十数名を集め、「新撰組」の組織化に取り組む。そして、そこに彼は天賦の才を発揮した。  歳三の描く理想像は、懦弱な江戸時代の武士ではなく、坂東の古武士である。そのために彼は、隊内部の規律を厳格に守らせた。即ち規律によれば、各々隊士が逃げたり敵を逃がすことは絶対許されない。だから彼らは、敵に斬られるか、それとも引き上げてから隊内で斬られるか、のどちらかという決死の日常を送っていた。  

ところが仲間であるはずの芹沢鴨とその一派は都で乱業狼藉を働き、新撰組の評判を落とす。そこで近藤と歳三は、新撰組結成時に後ろ盾となってくれた会津藩の意向を受けて、彼らを粛清した。こうして「新撰組」は、幕末最強の人間組織として作り上げられていった。  

元治元年(1864)、新撰組は池田屋の変で大活躍をし、幕府から大いに評価された。そして近藤は、すっかり「大名気取り」になってしまった。  

ところが薩長同盟は、武力による討幕を構想し朝廷工作に成功する。すると彼らの連合軍が「官軍」となった。そこで慶應三年(1867)、内戦を恐れた将軍徳川慶喜は、大政奉還と王政復古を受け入れた。一方新撰組は、将軍無き幕府側の要請を受けて、引き続き都の治安維持を任される。  

こうした状況の下、慶應四年(1968)、慶喜の思惑とは裏腹に薩長同盟は武力による討幕、即ち戊辰戦争を始めた。そこで「賊軍」と見なされた「新撰組」は劣勢の戦いを強いられ、鳥羽伏見、甲州勝沼の戦いで相次ぎ敗北していく。遂に近藤は絶望して官軍に投降し処刑され、沖田は、結核により死亡した。

刀の美学-歳三の人生論

ところで歳三は、清河の結成した浪士組へ参加するに際して、「和泉守兼定」という名刀を所望した。そしてあちこちの道具屋を散々探し回った挙句、遂にある道具屋で数奇の運命を辿った錆だらけのこの名刀に出逢う。「数百年間、この刀はあなた様に逢いたがっていたのだろう」と道具屋の主人は言った。だから歳三は、この刀との運命的な出逢いに彼の人生を託したと言える。  

歳三の「人生論」は、彼の言葉に表れている。「刀の性分、目的というのは、単純明快なものだ。兵書と同じく、敵を破る、という思想だけのものである。」「見ろ、この単純の美しさを。刀の美しさは、粛然として男子の鉄腸を引き締める。目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。新撰組は節義にのみ生きるべきである。」   

ここでいう「節義」とは「人として守るべき正しい道筋や道義をかたく守り通すこと、またはその節操(信念や貞操)と道義」ということだ。つまり歳三は、幕府に対する忠誠を最後まで守り通す人生を選んだのであった。だが近藤も沖田も、この人生に最後までついて行くことはできなかった。

純愛-お雪

次に歳三の恋人お雪について触れよう。彼女は、武士であった夫と死別し一人で暮らしていた。そこへ乱闘で負傷した歳三が、助けを求めてたまたま訪れた。そして歳三は、介抱してくれる彼女に母の面影を見る。その後彼は何度か通い続けて遂に結ばれ、仮初めの夫婦生活を送ることとなった。その後歳三は彼女と別れて、東北を経て函館へ渡る。   

一方お雪は、一度は歳三と別れたものの、不思議な導きによって戦場と化した函館へ彼を追っていく。そこでお雪の純愛に感動した歳三は、彼女と深く愛し合い最後の契りを結ぶ。そして彼女に今生の別れを告げた後、劣勢の幕軍の軍人として最後まで華麗に戦い抜き、遂に五稜郭の戦いで絶命した。  

さてこのお雪とは、一体何なのか。確かに彼女は「創作人物」であり「見える歴史」では霞む存在だ。しかし長年の同志達が離れ、あるいはこの世を去り、歳三がたった一人になってから、実に重要な役割を果たすのだ。

武士魂の救い 

刀は、敵を殺し自分が生きるための道具である。だから刀は歳三に命を奪う力を与え、「見える歴史」での彼の人生を切り開いた。  

一方お雪は、歳三を愛し彼が「節義に生きる」ための真の武士魂を与えた。それは言い換えると、この世の評価を求めず死をも恐れず、忠義と貞操を守り生き抜く力のことである。これが歳三にとっての「見えない真実」であり、人生そのものであった。つまりお雪は唯一真の彼の理解者、そして人生の伴侶となったのである。だから、歳三を悲惨な人生から救ったお雪は刀に勝る。私は、歳三の人生をこのように締めくくりたい。

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